ダサいって言う人
センスがダサいとは何なのだろうか?
若者ははよく
「誰々の行動がダサい」
「誰々の服がダサい」
「誰々の聞いてる音楽の趣味が悪い」
と口にする。
各々のセンスなんてものは今まで耳にしてきたこと、目にしてきたこと、経験してきたことによって人それぞれ違う。
例えば、現代日本では今ではもう当たり前のようになった洋服だって、当時の和服をきている日本人にとって多少の抵抗はあったであろう。
アロハシャツのような派手な柄のシャツは、アロハシャツ文化が形成されたハワイを飛び出せば、初めて見る人からすれば「ダサい」と切って捨てる人もいたはずだ。今では、夏の服として定番となっている。
個人の好み(センス)はその人の経験、文化によく依存していることは疑う余地もない。
そのうえで、上から目線で人のセンスを「ダサい」とはよく言えたものだ。
自分はこの世界中でだれよりも「センス」がいいのか?
それだけの知識、文化、芸術に触れて来たのか?地球上全ての人の経験をしてきたのか?
きっとそうなのだろう。素晴らしいひとだ。
どんどん周りの人のことをダサいと切って捨てていってほしい。
世界一センスがあって、卓越したものの見方を出来る人なのだから。
自分の好みではないだけで、人の「好き」を否定する権利など、誰にも在りはしない。
何故、「ダサい」ではなく「僕は好きではない」と言えないのか、何故、自分の感覚が全てであると信じて疑わないのか。
あ、ノースフェイスの四角いリュックはダサいよ(笑)