binbo日記∞

とある大阪大学生が、新しい遊びを見つけつつ、勝手にいろいろ書いていくブログです。

大学最後の冬休み

地元に帰省した。

 

小中学校時代の親友6人と、12月31日から1月1日になる夜に、初詣に行くのが恒例行事だった。

 

彼らとはサッカー部で同じで、小学校時代のサッカー少年団も一緒だった。卒業式では俺だけが号泣するほど彼らが好きだった。

「なんで泣いてんだよ笑」とからかわれたのを覚えている。

 

中学を卒業してから毎年の行事だったが、一昨年に5人になり、去年に4人、今年は3人だった。来なくなった友達は結婚して子供が産まれたり、大学時代の友達と遊ぶ等の理由で来なくなった。

 

残ったメンバーは、一浪一留をして2023年に社会人になる俺と、高校を卒業してから公務員になったやつと、今年大学を卒業して社会人になったやつだ。

社会人になったやつは、仕事をクビになったから地元に戻ってきて、もう一度就職先を探すらしい。

 

「このメンバーしか来ないのなんなん!まぁ俺らはずっといけるから安心だな」

なんて、公務員の友達が初詣に行く最中に言い出した。

「そうだな。あいつら来ないのもったいね~笑」

なんて俺はおどけてみせたが、内心、もう初詣に集まることもないのではないか、と思った。

 

というのも、公務員のやつは最初、来るのを面倒くさがっていた。

 

今回は無理やりそいつを来させたが、俺自身も社会人になって、だんだんと来るのが面倒くさくなっていくのではないか、と思った。そう思ったから、面倒くさがっていたそいつを責めることは出来なかった。

 

こうして、「卒業しても毎年初詣にはみんなで行こうな!」と言っていた友達も、家族を作り、働き、自分の人生に必死になって旧友のことなど頭の片隅にも残らない正月をこれからは過ごしていくのではないだろうか。

 

「卒業後も絶対年に一回は泊まりで旅行にいこう」と息巻いていた大学時代の親友もいずれそうなるのかもしれない。

 

だから、気軽にはもう会えなくなるかもしれないから、俺は卒業式で泣いたのだ。

 

 

 

テスト期間に思うこと

留年して、去年も一昨年も履修した〇〇学を勉強する。

 

やっぱり意味がわからない。何度勉強しても、目に見えない現象が数式上では存在し、それが実際に起こっているのだ。

 

毎日徹夜して、必死に知識を頭に植え付ける。テストが終わったらすぐ忘れるというのに。俺が大学で学んだことっていったい何なのだろう。

 

留年しないで卒業した友達にも聞いてみた。何を学んだと思う?と。

 

「なんにも!!覚えてない!」

自分が留年したから何も学べなかったと感じていたが、どうやらそうではないらしい。

 

大学に行く意味がよくわからない。

一般的に苦労しないで生活をするのなら、そこそこの企業に入らなければならない。

苦労しないで生活する、それが幸せだと、親にも、小学中学高校の先生にも教えられてきた。

 

そこそこの企業に入るためには、いい大学を出なければならない。

学歴フィルターに引っかかるからだ。いわゆるFランク大学を出て、仮に入社出来ても、学閥があるから、きっと苦労するだろう。

 

大学とはそういう場所なのかもしれない。

良い企業に入るための予備校。

就職予備校だ。

 

学問を学びに来たわけではない状態の人が大学には多い。

旧帝国大学、「大阪大学」であっても。例にも漏れず俺もそうだ。

 

だが、テスト勉強をしていて、わかるようになると、面白いと感じる。

もっと学んでおけばよかった、と。

 

毎回思うが、その感覚は一過性のもので、長続きはしない。

心から興味があるものではないからだ。

 

ならばせめて、自分が心から面白いと思えることならば、学べるのかもしれない。

そう思って春休みは図書館にこもっていろんな本を読んでみようと思った。

 

これから読む本の中に、心から面白いと思えるものがあるのかもしれないという希望を胸に抱いて、今日もテスト勉強に勤しむ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花言葉とデート(全部妄想)

付き合って1回目のデートで大阪城公園デートに行った俺。初めて彼女と手を繋いでみる。木々は、俺たちの心を投影したようにほのかな赤みをつけている。そんな中、鼻腔を刺激するような甘い匂いがする。

 

「わ、いい匂い。なんやろ。」

 

俺の目をチラリとみて少し柔らかめの関西弁で彼女が言う。目をまともに合わすことが出来ない彼女は、よくそういった目の合わせ方をする。

 

初めての歳上の彼氏。
彼は、いつも歳上とは思えない少年の様な無邪気さで、やれバイクがどうこう、釣りがどうこうと、彼の好きなことを話す。
その話はいつも刺激的で、私の好奇心を刺激する。今好きなものだって、彼に影響されたものばかりだ。

 

金木犀の香りだね。今の時期に咲く花。」

 

彼はいつも誰に影響されたのかわからないエセ関西弁風な話し方だが、時折こういう綺麗な標準語を話す。私は、彼の標準語が好きだ。

 

花言葉は、謙虚。どんなに魅力的でもまだまだだと、努力を欠かさない君にピッタリの花だね。」

 

真面目な顔をして、彼が言う。相変わらず何故知っているのかわからない知識を出す。いつも少年の様だが、こういうときに彼のロマンチストな部分が出る。歳上なのだ、と実感する瞬間でもある。

 

「まーたそんなこと言っちゃって、ロマンチスト出てんで〜」

「いや、は?やめろや!」

 

そんな彼を茶化すと、顔を真っ赤にしてそっぽを向いてしまう。

 

「でもそんなとこが、好き。」

 

つい口をついて出てしまった愛の言葉。私の顔も紅に染まる。

 

「、、、俺も好き。君の素直なところが。」

 

びっくりした。歳のわりに大人な彼女の口からそんな言葉が出るとは。やはり、愛らしい人だ。そんな彼女が、俺もまた、たまらなく好きなのである。

 

二人の顔は色づいた楓の葉の様に染まり、肌寒い季節の二人の体温は対照的に温かくなっていくのであった。

 

 

花言葉勉強してまだ見ぬ未来の彼女とこんなやり取り、したいです。

若さと感性について (RB)

17歳が感性のピークだという思いは今も変わらない。

こと自分についていうと、17歳の時は色んなことにいちいち感動したり悲しんだりして、たくさんの曲を作ったりした。

花火大会で告った彼女と付き合ってフラれて、なんやかんやで塾同じになって集中欠いて受験に落ちた。

部活や文化祭など、様々な出来事が目まぐるしく変わり、感性は刺激された。

 

大学生になってからも、1.2回の時と今ではものの感じ方が明らかに違うと思う。

そのことを最近強く感じて物悲しく思う。

そこに差異があるのは新鮮さが大きく関わっているのかもしれないけれど、大体の遊び、バイト、女子と遊ぶこと、どれくらいの労力をかければどれくらい疲れて、どれくらいの楽しさのリターンがくるのかが予想つく。

生きている上でこれは自然のことであり、それが良くも悪くも大人になるということなのかもしれない。


衰えゆく感性の中、常に刺激と笑いをもたらしてくれるのは友達だと思う。

たとえ「友達アピール」と揶揄されても、俺は何度でも言いたい。

 

俺の青春時代は友達とバカ笑いをしていたという記憶で〆たい。

 

今、社会人を目の前にして、この若さと感性の衰えが着実に進んでいることを否めない。

そんな中で、日常に爆発的瞬間をもたらすことができるのは、俺にとってはきっとライブハウスでライブをすることなのだと思う。

自分のため、あるいは誰かのために作った自分の曲で。こんな世の中ではあるが、この細やかな願いが叶うなら卒業までにライブがしたい。

 

SNSと性欲とオナニー

知り合いの女性がTikTokを始めた。

 

その人は仕事を辞めてからTikTokに手を出したそうだ。いわゆるフリーター的なことをしてる。いや、バイトもしてないのでただのニートだ。

 

ストーリーで「イクラ」を食べただとか、仙台に行ったとか、そんなものばっかりあげてる。どこからお金が湧いてくるのかわからない。その投稿を見るたびにちょっとイラッとする。

 

その人は人間的に全然面白い人間ではないので、もちろんTikTokもバズることなどはない。

 

ところが、胸を強調した動画をTikTokにあげだした途端、バズりだした。そこそこ人気のティックトッカーを気取っている。

満足げに「バズったwww」とか言ってる。なんかすごい嫌な気持ちになる。

 

性的に搾取されるコースを歩みだしたのだ。AV女優や、風俗嬢と構造的には変わらないと思う。男性の性欲の対象、オナニーのおかずだ。もちろん男子の僕からすればありがたい話である。

 

ただ、その人は性欲の対象になることを嫌がっていた記憶がある。

 

いいのか?それで。

 

あなたと表面上仲良くしていた男性を何人も知っているが、そいつらは全員あなたの胸にしかあなたの価値を見出してはいなかった。それくらい側から見ればすぐわかった。それが嫌だったのではないのか?

 

TikTokでバズることがそんなに大切か?何をめざしてるんだ?二度と「性欲の捌け口」にされることに文句を言うな。

 

胸を揺らした動画を自分で撮って、広告費用で飯食ってんだろ?男性がオナニーするための動画で、飯食ってんだよ、あんたは。

 

残念でならない。

 

胸が大きいことでしか築けなかった関係を一番嫌がっていたあんたが、胸が大きいことを利用して飯を食うのか。

 

フェミニストが「女性を性欲の捌け口にするな!」と声を大にして叫ぶ。それに感じてた違和感は、自ら捌け口にされにいっている女性がいるという現実だ。

 

 

社会的に強いられた結果でもなんでもない。手っ取り早いからだ。

多くの人が時間的コストをかけるのを面倒くさがった結果だ。

 

黒人を捕まえて白人に奴隷として差し出した黒人がたくさんいたという。金になるから。

 

需要が存在する限りはなくならない矛盾。なんなんだ。

 

こんなことを考えている自分も、射精すればこんな些細な事どうでもよくなるのだ。

 

そんな事実が、どうしようもなく、哀しい。

 

 

22歳を迎えて (ゴルシュン)

22歳になったらしい。

 

20歳は嬉しくて、21歳は「20歳は嬉しかったけど21歳は嫌だね」と冗談を言えるが、22歳はひたすら嫌だな。

 

恐らく23歳はもっと嫌だろうし、この先のどこかの歳でその嫌さも失ってしまうであろう事が一番嫌である。

 

 着実に大人のカテゴリーに進んで行っている事が何故か他人事に感じてしまう。22歳の身でありながら22歳の自分が想像できない。

 

もしかして周りの大人もみんなそうなのだろうか。

 

いや、きっとどこかで自分が大人であることを諦めて受け入れるのだろうな。

 

「人生は諦めの連続」らしい。

 

俺は陳腐な言葉も陳腐な言葉を言う人間も大嫌いだが、陳腐であると言うことは多く言われてると言うことであり、多く言われてることは往々にして正しいのだ。

 

 

 

 昨日は彼女にポールスミスの指輪を買ってもらった後、高い肉を奢ってもらった。

 

未だに45,000円の借金があるのに良く出来た彼女だ。

 

彼女にとって俺は初めての彼氏なので、「雛鳥が初めて見た生物は親鳥だと思い込む」話と一緒で、彼氏は彼女に借金するものだと思い込んでる可能性が僅かながらあり得る。

 

関係ない話だが俺は今だに店員さんにバースデープレートを持ってきてもらった時の表情の作り方がわからない。

 

 どちらにせよ高い肉は美味い。

 

たまに芸能人がSNSなどに高級料理を乗せると、「私は家族と食べる安い肉で十分幸せです!」とコメントがついていたりするが、言ってて悲しくならないのだろうか。

 

真の豊かさとは、スーパーの安い肉と料亭の高級肉どちらも堪能できることだと思う。

 

なので、ある程度落ち着いた大学生の「安酒で十分だ」発言もあまり好きじゃない。

 

ちなみにこれは友人RBが3ヶ月に一回ぐらいの頻度で言ってる。

俺は高い肉も安い肉も高い酒も安い酒も全て楽しめる人生を送りたい。

 

 そういえば「彼女に誕生日を祝ってもらってる」という、テンプレートな幸せを享受してる自分を小っ恥ずかしく感じてしまう。

 

友人が「ただの楽しい飲み会をされると壊したくなってしまう」と言っていたがきっと同じ感覚なのだろう。

 

ただそれは女子の前でダダ滑りし続ける言い訳にはならないよな、とこの前ふと思った。

 

それでは。

 

 

ある夏の日の一日(交換日記1日目)

今日は朝6:00に起きた。

 

昨日20:00頃くらいからベッドの上で寝落ちしてかれこれ10時間寝ていたわけである。低気圧のせいなのか、最近は睡眠時間が必要以上に多い。

いや、本当の原因は、電気を点けたまま寝ているので睡眠が浅いのだ。少し寝ては少し起きてを繰り返していた。

 

その間、「Nさん」から電話が来て飲みの誘いを受けたが、遠いことを理由に断った。

 

彼女は夜中に酔っぱらうと僕を頻繁に呼び出してくる。大抵行っても面白くない。

「最近の悩み」だとか「今日あったこと」をぺらぺらと喋り続け、僕はそれを聞いているだけ。誰がそんな飲みに寝ぼけ眼をこすりながら出席するのだ。行くわけがない。

 

そんなこんなで昼になる。

昼食を食べるためにニドミンを誘う。奴は、最近生意気にも忙しそうだが、昼は大抵空いている。

「中華料理食べ放題に行きましょうよ」と言われたのでニケツで小野原まで行く。普通に休業してた。

 

潰れろ。

 

中華料理屋が開いてなかったので大戸屋に行った。これまた大課金。

僕はホッケの塩焼きを食べた。奴は「大戸屋ミックス」なるメニューをセレクト。

大戸屋ミックスには唐揚げ、ハンバーグ、チキン南蛮などがおかずとして付いている。

それでご飯は沢山食べられるはずなのに「ご飯のお供」を滅茶苦茶付けてた。戦国大名くらいお供付けてた。

 

奴は、多分馬鹿だ。

 

ご飯を食べている最中、ニドミンのおかずがバラエティー豊富すぎて「和洋折衷すぎるだろ」と揶揄してみた。

奴は、「中国要素どこだよ(笑)」と、わけのわからないツッコミをしてきた。

 

スルーした。

 

「え、中国要素まじでどこ?」とまた言ってきた。

 

今度はスルーしてあげない。

 

奴は、「和洋折衷」を「和洋”接中”」だと思っているらしい。

日本と西洋と中国の混合のものを指す言葉だと間抜けな勘違いをしている。

 

「和洋折衷なんて普段使わないからわからないですよ(笑)」と、言い訳をしてきたが、奴は、間違いなく馬鹿だ。

 

午後は、ひたすら課題をこなしていた。しんどい。勉強の間の雑談でオリジナルTシャツを作ることになった。楽しみだ。

 

RBが寂しそうなのでドライブに付き合った。

ゴルシュンとRBとニドミンと僕で暗峠に行った。

 

RBは恐い系の事象が起こると普段の冷静さが無くなる。無様。

あのスピードでは事故っても死ぬまではいかないのに「命の危機を感じた」とのたまっていた。黙れ。

 

帰りの車の中で寝てしまった。

微睡の中で僕のことを話しているのが微かに耳に入ったが、消え行く意識の中で、それに反応するだけの気力はない。

 

そのままゆっくりと意識は闇に沈んでいった。

 

すっかり周りが明るくなってからタイムズカーシェア阪大坂下駐車場に着いた。

ゴルシュンが「俺らがお前の悪口言ってたの気づいてた?」とか言ってきた。

あのときの話は僕の悪口だったのか。

悪口を言うなら僕の耳に入らないところで話して、悪口を言ったことを僕の耳に入れるな。馬鹿が。ちょっと傷ついた。

 

朝に石橋を歩くのも久しぶりだった。

 

あと何回、気だるげな空気を孕んだ少し青い朝を、疲れた身体をひきずりながら、タバコの匂いで充満しているこの部屋まで帰ることが出来るのだろう。

 

と考えながら交換日記一回目の日記を書いている。おやすみ。

 

GOOD NIGHT ISHIBASHI はばたけお前たち。