22歳を迎えて (ゴルシュン)
22歳になったらしい。
20歳は嬉しくて、21歳は「20歳は嬉しかったけど21歳は嫌だね」と冗談を言えるが、22歳はひたすら嫌だな。
恐らく23歳はもっと嫌だろうし、この先のどこかの歳でその嫌さも失ってしまうであろう事が一番嫌である。
着実に大人のカテゴリーに進んで行っている事が何故か他人事に感じてしまう。22歳の身でありながら22歳の自分が想像できない。
もしかして周りの大人もみんなそうなのだろうか。
いや、きっとどこかで自分が大人であることを諦めて受け入れるのだろうな。
「人生は諦めの連続」らしい。
俺は陳腐な言葉も陳腐な言葉を言う人間も大嫌いだが、陳腐であると言うことは多く言われてると言うことであり、多く言われてることは往々にして正しいのだ。
昨日は彼女にポールスミスの指輪を買ってもらった後、高い肉を奢ってもらった。
未だに45,000円の借金があるのに良く出来た彼女だ。
彼女にとって俺は初めての彼氏なので、「雛鳥が初めて見た生物は親鳥だと思い込む」話と一緒で、彼氏は彼女に借金するものだと思い込んでる可能性が僅かながらあり得る。
関係ない話だが俺は今だに店員さんにバースデープレートを持ってきてもらった時の表情の作り方がわからない。
どちらにせよ高い肉は美味い。
たまに芸能人がSNSなどに高級料理を乗せると、「私は家族と食べる安い肉で十分幸せです!」とコメントがついていたりするが、言ってて悲しくならないのだろうか。
真の豊かさとは、スーパーの安い肉と料亭の高級肉どちらも堪能できることだと思う。
なので、ある程度落ち着いた大学生の「安酒で十分だ」発言もあまり好きじゃない。
ちなみにこれは友人RBが3ヶ月に一回ぐらいの頻度で言ってる。
俺は高い肉も安い肉も高い酒も安い酒も全て楽しめる人生を送りたい。
そういえば「彼女に誕生日を祝ってもらってる」という、テンプレートな幸せを享受してる自分を小っ恥ずかしく感じてしまう。
友人が「ただの楽しい飲み会をされると壊したくなってしまう」と言っていたがきっと同じ感覚なのだろう。
ただそれは女子の前でダダ滑りし続ける言い訳にはならないよな、とこの前ふと思った。
それでは。