binbo日記∞

とある大阪大学生が、新しい遊びを見つけつつ、勝手にいろいろ書いていくブログです。

小学生時代に感じた気持ち悪かったこと【障がい者差別?】

小学生の頃、K君という子がクラスメートにいた。

 

彼は、とある身体的な障がいを抱えていた。

 

彼は活発的な方ではなく大人しい性格であった。

僕と仲が良いわけでは無かったが、やっていたスポーツが同じだったということもあり、会ったら多少会話するくらいの間柄だった。

 

他のクラスメートは、彼をいじめたりだとか、貶したりすることなどなく、彼に優しく接していた。

 

僕は、その光景を気持ち悪く感じた。

 

クラスメート達は、K君が何かするたびに褒めるのである。

本当に、何をしても褒める。

 

K君が教師にあてられて、答え、正解するたびに褒める

K君が体育の授業で跳び箱を飛ぶたびに褒める

K君が絵を描くだけで褒める

異常なほど、褒める。

 

それが、本当に凄いことであったのなら、普通の光景だろう。

だが、僕の目にはそうは写らなかった。

 

教師にあてられて答えたことだって、ごく普通の問題。

それこそ誰でも解ける様な問題(九九の計算の様な)

 

飛んだ跳び箱も、3段くらいの、普通の跳び箱。

 

描いた絵だって、お世辞にも上手いとは思えなかった。

 

クラスメート達は、K君が身体的なハンディキャップを背負っているから、差別的な発言をしないようにしていた。ひとえに優しさ故の言動であるとは思う。

 

K君は、どう感じていたのだろうか?

 

褒められて嬉しかったのか?

 

僕にはそうは思えなかった。

もし、自分が何かしらのハンディキャップを背負っていた時、同年代の中では平均的な事をしたときに、褒められて嬉しいとは感じないだろう。

 

何故なら、「すごい!」の言葉の中に「ハンディキャップを背負っているのに」という言葉が、口には出ていないまでも、先頭に付属しているように感じてしまうからだ。

 

自分なら周りの子達と同様に扱ってほしいと思うだろう。

 

クラスメート達は「障がいを持っている社会的弱者」という現実を、優しさというシルク生地に包んではいるが、ナイフのようにK君に突き立てていたのではないか?

 

そう思ってならなかった。

 

体育の授業の時、その状況が気持ち悪かったゆえに、K君に「お前、下手だな」と言ったことがある。

 

勿論、K君は身体的なハンディキャップを背負っていたから、下手であるのもしょうがないのは理解していた。

しかし、それでも他のクラスメートと接するのと同じように彼と接してみたかったのである。

 

この行動は間違いだったと思う。他のクラスメートには「下手だ」などとは面と向かって言わない。

彼を色眼鏡で見ないようにした行動は、結果として彼だけにする特別な行動になってしまったのである。

彼は傷ついた顔をしていたし、僕も嫌な気持ちになった。K君には酷いことを言ったと後悔している。

 

結局、僕もクラスメート達と同様に「障がいを持っているK君」という目でしか彼を見れていなかったのだと思う。

 

あれから十年以上たった今でも、彼との本当に正しい関わり方はわからない。